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聖書の言葉
森田喜基 日語部牧師 |
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2008年2月報より
召天・金宗元牧師 李 国姫 1968年に京都、同志社神学校を卒業した。金宗元牧師はバークレーに来てPSRとGTUで学んでいた。シカモア教会の問い合わせがPSRにあって、日語部の主日礼拝に於ける説教の依頼があった。幸い、日本で生まれ日本語が出来たので、1969年-1970年までをパートタイムで、1971年-1973年までをフルタイムで日本語部で奉仕した。一世の方々や帰米二世の方々、又、新移民者の方たち合わせて約30名位の信徒が出席した。日本語で主の福音を語る栄光ある奉仕ができて喜びであった。家庭訪問、月一回の日友会の家庭集会は家族的なたのしい親しい交わりの時であった。牧師としては信仰に導かれて洗礼を受ける決心をした方達と聖書を学び洗礼を授ける事の出来た事が一番感謝であった。その方達の信仰成長がその後何処にいても祈りの課題でであった。時々、英語部と合同礼拝をしたことも行事をした事も有意義であった。新年会、野外礼拝(ピクニック)、教会全員が奉仕するバザーなどは思い出深い。教会の奉仕をしながら神学校での、修士、組織神学の博士の学位を修得できた事は神の豊かな恵みとシカモア教会役員はじめ信徒皆さまの熱き祈りのお陰と信じている。以後、約40年間の牧会と神学校での教授生活を終えて、2008年1月2日、午前0時53分、金牧師は天国故郷に帰りました。息子二人は夫々の教会と地域社会に仕えている。シカモア教会の日語部と英語部の上に神の祝福と平安を祈っています。 2008年4月報より イエス様のお庭 Jesus Garden An Easter Legend」より 日語部牧師 森田 喜基 昔々、あるところにオリーブ山という小さな丘のそばに、また小さなお庭がありました。そこに住そこには小さな虫から、鳥たち、蝶々、そして色んな動物が、みんな幸せに過ごしていました。木々はまっすぐに伸び、太い枝には白やピンクの綺麗なお花が咲いていました。そこには庭のみんなと仲良しの駒鳥の姿もありました。庭には特別なお友達がいました。イエス様です。イエス様はやって来られては植物を植え、動物たちには力を与えてくださいました。みんなは知っていました。イエス様はみんなのことが大好きだと。そんな幸せがいつまでも続くかと思われていてある日、お庭には恐ろしい知らせがもたらされました。イエス様が十字架に付けられて殺されたというのです。みんなはあわてふためきました。そういえば、2,3日前に庭に兵士たちが来て、木を切っていきました。兵士たちはイエス様をつける十字架のためにまっすぐに力強く伸びたドッグウッドツリーを切りに来ていたのです。切られなかったドッグウッドツリーたちはとても恥ずかしくなり、悲しみ、彼らの枝はぐにゃぐにゃになってしまいました。庭全体が悲しみに包まれました。駒鳥はイエス様が十字架にかかるまでついていきました。何とかしてイエス様を助けようとしました。でも小さな駒鳥にはイエス様の額から流れる血をぬぐうことしかできませんでした。イエス様は駒鳥を愛しておっしゃいました。「庭に戻りなさい。そして私を待っていなさい。」駒鳥は言われたとおりにし、3日が過ぎました。お庭は闇と悲しみに包まれたままでした。次の日、みんなが目を覚ますと、あたりは明るくなっていました。すべてが輝いていて、生き物たちは新しい希望に満ちていました。命の輝きが戻ってきたのです。突然お庭が騒がしくなりました。なぜならイエス様が戻ってこられたのです。「イエス様が私たちのところに帰って来られた」みんなは叫びました。鳥たちは歌い、動物たちもお花たちも踊り喜びました。イエス様は木々のところにきて、そのぐにゃぐにゃになった枝や根っこを見て、おっしゃいました。恥じることはないのだよ。あなたがたで作られた十字架はこれから世界の希望の象徴となるのだよ。これから人々は十字架によって、間違ったことをしたときも、神様が愛して、許してくださっていることを知るようになるのだよ。それを聴いて木々はまっすぐに戻りました。イエスは少しの間、みんなと一緒にいましたが、もう行かなくてはなりません。イエス様がみんなとお別れするとき、何度も何度も振り返り、さようならと手を振りました。でもこのとき、誰も悲しんでいるものはいません。みんなは知っていたのです。イエス様は本当はみんなから離れないのだと。イエス様はこれからは目には見えないかもしれないけども、みんなを愛し続けてくださるということを。動物たち、お花たち、そして木々、特にドッグツリーと胸赤鳥となった駒鳥はお庭でイエス様と一緒に永遠に過ごしました。おしまい 心暗くなるときがあります。不安に駆られ、新しい一歩を踏み出そうにも体が動かないことがあります。ここに出てくる動物たちも、またイエス様が十字架にかかったのをただ遠くから見つめて、泣くしか出来なかった弟子たちや婦人たちも、悲しみにくれていました。そんな人のところに復活のイエス様は「心配しなくていいんだ」と語りかけてくださるのです。新しい一歩を、イエス様が共にいてくださることを信じて踏み出したいと願います。 森田喜基(イースター礼拝より) 2008年4月報より 2008年5月報より |
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